●『THE CHESS』by masayon(クリフォード×ヒル魔) - 2/2

2. -side Hiruma- right choice

世界中からアメフト馬鹿ばかりを集めた、華やかな祭りは終わった。夜半のロビーは、人が死に絶えたように静かだ――否、静かだった。つい5分ほど前までは。祭りのあとの、この気の抜けたサイダーのような空気の中で、唐突に勝負を投げてくる馬鹿がいるなどとは、さすがのヒル魔妖一も予想していなかった。

クリフォード・D・ルイス。
どれだけ頭がいいのか勝負師なのか知らないが、空気を読まないという点では馬鹿以外のなにものでもない、と思う。あのカジノでヒル魔のチップを奪えなかったことを根に持っているようだったが、正直なところどうでもいい。ヒル魔だって逃げ切っただけで勝った訳ではないのだし、本番のアメフトで負けているのだから前哨戦の勝敗などは問題ではない筈だ。なのにあの妙にプライドの高いニセ王子様は、そんな些細な取りこぼしが気になるらしい。
どうでもいい勝負ではあったが、どうせやるならとためしにふっかけてみたら乗ってきた。
日米大学親善試合。
案外単純な頭なのかも知れない、とうっかり錯覚しそうになるが、恐らく、単に負けぬ自信があるということなのだろう。

チェスなどヒル魔も酷く久しぶりだった。
相手がクリフォードであれば、道具は要らぬ。すベて頭の中――イメージと記憶で勝負を描く。先攻のクリフォードは白の駒。後攻のヒル魔は黒の駒。ビショップとナイトを他所へ移して、キャスリング。黒の王の入城だ。さあ、どういう手で来るか。何十手も先、何百通りものパターン。つい先ほどまで疲労でふわふわと心地よく拡散していた集中力が、一気に高まる。ギアが噛み合ってハイスピードで回転する。
チェスというものを、毛嫌いしていた時期もあった――と言うよりも、父がその道を離れて以来、そこへは触れぬまま、気付けば今まで来てしまっていた。だから、実際にゲームをするのは、小学生の時以来ということになる。今、こうして唐突に振られてみて、自分の心情がまったく揺れぬことに、むしろ驚く。なんの拘りもなく、頭の中にチェス盤を描き、駒を進めている。嫌悪感も、気負いも衒いもない。

「ビショップ。d3」
クリフォードの白の僧侶が前へ出て来る。さて、こちらも黒の僧侶を進めて相手の駒を奪うか。騎士に敵陣へ斬り込ませるか。
数手先に有効となる仕掛け。
数十手先の布石とする手。
数多の有効な攻撃パターンが瞬時にヒル魔の脳内でシミュレートされ、何十・何百の層を連ねる仮想現実が織り成される。その中から選び取る、たったひとつの道。
「ポーンを、d5へ」
黒の歩兵がふたつ進む。ポーンを斜めに連ねるのはごく基本的な防御策だが悪くはない。クリフォードの視線がチラリとヒル魔の瞳孔を射抜いて、それから、手元のエスプレッソに落とされる。深煎りの漆黒の液体を、ひとくち、ふたくち。
「ナイト。f3」
ああ。
解る。
今この一瞬で、クリフォードの脳内にも、めまぐるしく幾層もの仮想現実が織り成されていたであろうことが、一瞬交差した視線で、それだけで、解った。
愉しい、と、思う。
飽くまで暇つぶし程度の興味ではあったけれど、こうして、頭脳と頭脳を戦わせてみるというのは、暇つぶしの選択肢としてはなかなか悪くなかった。相手が、これほどに戦い甲斐のある実力の持ち主であれば、なおのこと。

けれども、
そんな、酷く素朴な感興と同時に。

己が何故アメフトを選んだのか、
どうしてチェスでは、他の個人技では駄目だったのか――

そんな、根源的な理解が、
何の前触れもなく唐突に、ヒル魔の裡にストンと落ちて来た。

 

それはきっと、
けれども、今、この流れでしかやって来なかった理解かもしれなかった。

久々に向き合った、チェス。父の幻影。
クリフォード・D・ルイス。己とよく似た勝負師。
その二つが、ぴたりと鍵穴に嵌まるように嵌まって、それを導いた。

 

チェスというゲーム。
純粋な、知能の勝負の世界。

もしかしたら自分は、そこから逃げたのかもしれぬ――そういう意識は、ヒル魔の中に常にあった。父がかつて挑み、志を果たせずにただ言い訳だけを覚えて、そして離れた、その世界。そこへ足を踏み入れて、己もまた越えられぬ壁に阻まれるのを、父と同じ道を辿るのを、無意識に避けていたのではないか、と。それは、ヒル魔妖一の脳裏に、いつも淡く微かに、でも消えずに存在する疑念だった。

アメフトを選んだ。
それは、チェスの代わりではなくて、父へのあてつけでもなくて、純粋に、ただ、この競技に心惹かれたからではある。けれども、何故チェスでは駄目だったのか、何故アメフトでなくてはならなかったのか――そこへと思いを致すには、ヒル魔の中でまだ父への確執は根深くて、向き合うほどの覚悟は出来なくて、ひとたびそれを考えれば己の弱さや子供じみた拘りや理不尽な怒りや色々なものが噴出してしまいそうで、無意識に避けていた命題だった。深く考えることをしないから、逃げているのではないかという疑念も、また、消すことが出来ずにいた。

だが、今。
ああ。

酷くシンプルに、答えが落ちて来る。
「ポーン。c5だ。言っとくがテメーのコーヒーがぬるくなろーがまずかろーが俺の知ったこっちゃねえぞ」
「安心しろ青二才(サニー)。そこまで俺は狭量じゃねえよ。お前から1ドル75を奪えりゃそれでいい。キャスリング」
頭の中のチェス盤で繰り広げられる攻防。
愉しい。
カジノでのポーカーもそうだった。
好敵手を得て、己の頭脳が隅々まで回転する感覚。
幾多の連なる仮想現実の層。

けれども。
ヒル魔妖一にとって、
そして恐らく、目の前にいるこの男に取っても、

全身の血が、熱く沸き立つのは。
魂の奥底が震えるのは。

フィールドに立っているその時、なのだ。

 

チェス盤上の駒は踊らない。
その動きは有限だ。
無限とも思える仮想現実の層は、実は有限であって、ヒル魔の高性能な脳みそをもってしても瞬時に出来る判断の範囲を越えているというだけであって、億になるのか兆になるのか知らぬが、指し手の組み合わせは気が遠くなるほどの数であっても、確かに有限なのだ。その範囲を逸脱することはない。

だが、アメリカンフットボール。
フィールドという名のチェス盤上に配された駒は、駒ではなくて、生きた人間の選手であるので、その一人ひとりがすベて、不完全であり、ゆえにすベてを予測することは不可能だ。ポーンは前へひとつ。ルークは前後左右無制限に。そんなふうに、決まりきった範囲の動きではない。己一人の肉体の限界ですらも、時に自身の認識を越える。一人ひとりの能力が、意思が、精神力が、しのぎを削り、ぶつかり、重なり合い、高め合い、フィールドが刻々と変わってゆく。天候、選手らの体調、思い入れ、時刻――ほんの些細な要因が、勝敗を左右しかねぬ変化をもたらす。

何よりも、
フィールドに立つ、同じ志の下に集うたメンバーらが。
ただただひたすらに勝利を渇望して、愚かなまでにがむしゃらに突き進むその姿が。
縦横に駆け巡り、ほんの一瞬の勝機を捉えて目まぐるしくフィールドを変えてゆくその姿が。

それらすベてが、燃え立つような熱気の中で交じり合い、交錯し、刻々と変化してゆく中で采配を揮うこと、こそが。

ああ、
アメリカンフットボール!
それこそが、ヒル魔妖一の魂が欲して止まぬ何かで、
それこそが、ただひとつ、ヒル魔の生命を鮮やかに踊らせる何かだった。

単なる盤上のチェス・ゲームでは。
死に絶えた駒の決まりきった動きなどでは。
満足など出来ない。
身体中の細胞すベてが目覚めるような歓びなどは味わうことは出来ない。

だから。
逃避などではなく。
代償行為などでもなく。

アメフトでなくてはならない、のだ。
選ぶべくして、選んだ。

「ナイトをc6だ」
脳内で黒の騎士を配して、コーヒーを飲み干す。紙のカップをゴミ箱へと放り投げると、僅か残った雫が飛び散ったがホテルのロビーなどは毎日清掃されているものだろうから別に良いだろう。

目を上げた先、偽者の王子様は僅か不機嫌な表情でヒル魔の指先のあたりを見ていたが、すぐに
「ポーン。a3」
と打って来る。

脳の高速回転と高速回転がぶつかり合う音が、しそうだ。
目に見えぬ火花。
これとて十分に愉しい。
飽くまで、暇つぶしとしてならば。

「ビショップ。c3」
白のナイトが今死んだ。

クリフォード・D・ルイス。
頭脳でわたりあうのなら、おそらく、対等の勝負が出来る。
光速4秒2の脚には及ぶベくもなくても。
体格・パワー、その他すベての数字が遠くかけ離れていても。
こういった、頭脳だけの戦いなら。
個対個の、知力をぶつけ合うだけなら。
身体的能力の差は関係ない。
そういった戦場を選んだ方が、恐らく、ヒル魔妖一にとっては、戦いは有利に運ぶ。

けれども、そうではないのだ。
身体能力では、プロアメフトプレイヤーなどには到底届かぬ自身が、けれども、戦い方ひとつで、この、NFLチームがこぞって欲しがる高校ナンバーワンQBと、拮抗した勝負が出来る、それが、アメリカンフットボールだから。
優れている者が、才能に恵まれている者が強いのではない。
勝つ者が、強い、のだ。
そういう戦場を、選んだ。
他の何でも替えることは出来ない。
アメフトだけが、ヒル魔の魂を焦がす。

だから。
まずは、リベンジマッチを、勝ち取らねばならぬ。

「ポーン。c3」
今、ヒル魔の僧侶がクリフォードの歩兵に殺された。
ひとつの駒が落ちた状態での最善をシミュレートする。
こんな、どうでもいい、クリフォードの単なる意趣返しであっても、ヒル魔はすベてアメフトに繋げる。すベてがアメフトに繋がって行く。恐らく、あそこまでプライドを煽れば、どうあってもクリフォードは試合のお膳立てを整えるだろう。そのくらいはやる男だ。だから、ここで、どうしたってこのくだらないチェス・ゲームに勝たねばならない。

「クイーン。c7だ」

ひとつの勝利へ。
その先の未来へ。
すベてすベて、アメリカンフットボールのために。

さあ。
ゲームはまだ、始まったばかりだ。

 

了。

■あとがき

こちらは、citrusgingerのあや様と、Rat-a-tat-tatのらんた様が主催されてらした、クリフォード×ヒル魔アンソロジー『Love Game』様(現在完売)寄稿作品の再録です。

すみませんクリフォヒルとか言いながら手も握らない二人ですみません!!!!!
でもこういうのが書きたかったんです!!!!!!
こう、クリフォードのスイッチを入れるのはヒル魔さんで、ヒル魔さんのスイッチを入れるのはクリフォードですよね、みたいな。そういう。ヒル魔父のことを一番教えてくれた(我々に)のはクリフォード先生だったし、クリフォード先生に初めて火をつけたのはヒル魔さんだったし、お互いの核心みたいなトコをぎゅっと握り合って、腹の探り合い、的な関係がとてもしっくり来ます!!!!! 性格も、アメフト選手としての境遇もまったく違うのに、本質が凄く似てるこの二人、また機会があったらじっくり書きたいです!!!! この後に発行された、クリフォヒルアンソロジー第二弾『Love Game Light』様への寄稿分も後日サルベージさせて頂く予定なのでお楽しみに!!!!

最後まで読んでくださってありがとうございました!!!!!