●『夢のはなし』by masayon (マルコ×蛭魔 パラレル)

『既視感』『記憶の澱』 の番外編です。時間軸的には、ふたつのおはなしの中間点です。

※逆カプ注意。本編のストーリー展開とは何ら関連しませんので読まなくても話は繋がります。

マルコが食事を終えてホテルの部屋へ戻っても、怪我人はまだ眠っているらしかった。昼前に点滴を替えに来たニッコロはそろそろ目を覚ます頃だと言っていたが、動いた形跡もないので恐らく意識は戻っていないのだろう。ベッドの足元に腰掛けて、マルコは蛭魔妖一の眠っている顔を見た。
死にはしない、とニッコロが言うからには目を覚ますのではあろう。あの男の医師としての腕も見立ても確かだ。けれども一刻も早く意識の戻るのを見届けて安堵したくて、マルコは苛々と爪を噛んだ。ここへ運び込んでからずっと、食事の時以外は付き添っている。四日目ともなれば、さすがに疲労も出て来るというものである。

蛭魔が現れてから四日。
本人が眠っている間に、マルコは彼についての情報を集めていた。組織の力を使わぬ範囲で可能な限りの手を尽くしたが、さすがに情報操作の達人と言われるだけあって、見事に最低限の足跡しか残っていない。ゆえにそのどれもが曖昧で断片的なものばかりではあったが、それらのピースを繋ぎ合わせてみれば、確かに、この東洋人の若い男の形を成すように思われた。
蛭魔妖一。
何故この男が、マルコに執着するのかは解らない。
このような世界で暮らしていれば、マルコだって男に言い寄られたことくらいはある。だが、生前マフィアのボスでこのあたりの総元締めであった父が睨みをきかせていた頃には、その息子であるマルコに対して実力行使に出るほどの度胸のある者、或いは愚かな者はいなかったし、父が亡くなってからはマルコも自身の身を守れるくらいの甲斐性は身につけていた。だから、意に染まぬ関係を強いられるなどということは生まれてこの方経験したことがない。別に貞操観念がかたい訳ではない、むしろ異性間の関係性については、イタリア男らしいおおらかさでもって楽しんでいる。だが正直、男同士で関係を持つ、ということ自体、理解できない。
けれどもし、蛭魔が、意識を取り戻したら。
マルコの、この、積年の望みを叶える魔法の言葉を、この耳に囁いてくれたなら。
その代償として、この男に、自らの肌を許すことになるのだ。

この願いがもし、本当に叶うというのなら――大袈裟でなく、何を差し出しても惜しくない、とマルコは思っていた。だから、どれほどの苦痛であれ、嫌悪感であれ、恥辱であれ、たかだか数時間耐えればそれで済むと言うのなら、いっそ、安い対価と言って良い、とすら感じた。解っている。単なる、肉体的な痛みの問題だけではない。男としての誇り、自尊心。それらが、地に堕ち、踏みにじられる。
――そう、頭では解っているのだが、実際には、嫌悪感すら湧かぬほどに、その状況というのは、マルコの想像の埒外なのだった。

抱かれる。
蛭魔に。

まるきりピンとこないので、本人の意識がないのをいいことに、マルコは立って、その頬に触れてみる。解熱剤が効いていると言ってもまだ熱っぽいその頬は僅かに汗を刷いて、たとえばこれが女であったなら、容易に情事の時の肌と置き換えて想像することが出来そうだ。なのに、マルコの指は何の情緒も快不快も示さずに、平坦にただ滑って、離れただけだった。マルコのイマジネーションは、自分で期待していたよりもよっぽど貧相なのらしい。なにも、この男に性的魅力などを見出したい訳ではないが、せめて「気色悪い」くらいのリアリティはあっても良さそうだ、と思うのに。熱のためか唇は乾いて、僅かにひらいた隙間から前歯のぎざぎざが覗いている。マルコとさほど体格は変わらぬようだが、細い顎とそれほど広くない肩幅が、体型を実際よりも華奢に見せるので、いかにも簡単に組み敷いてしまえそうだ――と、そこまで考えて、マルコは自身の感想に思わず吹き出しそうになった。抱かれることを想像しようとしていたのに、行為の主体が逆になっている。

どうだろう。
おなじ、男とのセックスであっても、掘られる側ではなく、こちらが相手を苛む側であったなら。
蛭魔の、自分より僅かに細い骨格の肢体を、女のように抱くとしたら。
それならばまだ、想像がつくだろうか――などと、馬鹿げたことを考えながらまどろみに落ちたせいであろうか。

夢を、見た。

夢の中、マルコはおなじこのホテルの部屋で、おなじように、ベッドに横たわる蛭魔を見ている。
けれど、怪我人の様子が違う。
現実では、熱を帯びて僅かに上気していた頬が、紙のように白い。厭な白さだ。こんな様子の怪我人を、何度か見たことがあった。こんな顔色をした奴らは、いくらももたずに天に召されることになっている。
ああ、夢だ、と思うのに、現実ではないとわかるのに、夢の中のマルコの心臓は跳ね上がる。
逝かないでくれ、と、切に願う。
祈るような気持ちで首筋に触れれば、既に体温は下がり始めていて、脈も呼吸も弱くなっている。
「蛭魔――!」
どうしようもないのだと、こうなった者を引き戻すことは出来ぬのだと、経験がマルコにそう教えていたけれど、それでも、思わず、肩をつかんで強引に揺らした。
まだだ。
まだあんたは約束を果たしてない。
俺に何もくれていない。
あんたも対価を受け取ってない。
必死に揺すると、怪我人は薄く目を開けた。こんなときですら、マルコを認めるや否や、口の端を吊り上げて。
「糞睫毛――テメェ、に……」
ああ。
掠れて、途切れる。
その先が、きっと、マルコの欲しい言葉なのに。

色を失った唇は乾いていて、きっと、そのせいで上手く喋ることが出来ないのだ、と――何故か、そんなふうに、夢の中のマルコは思う。そして、乾いた唇を潤す手段を、夢の中のマルコはたったひとつしか思いつくことが出来なくて、これしかない、と思い込んで無我夢中で、
キスを、した。

乾ききった薄い唇は、マルコの唇を刺したけれど、構わず深く口づけた。唾液が唇を湿していくにつれ、怪我人も呼応するように舌を絡める。触れた肌はひやりとしていたけれど口の中はまだ熱が残っていて、それが生気の証のようで、なんとかしてこの熱を奪われぬようにしなくては、と思う。
「蛭魔――蛭魔……ッ!」
息継ぎの合い間、どうかして、繋ぎとめたくて、狂おしく名を呼びながら、夢の中のマルコは、次第に、この、口づけそのものに、囚われていく。息が上がる。体温が、脈拍が、上昇する。けれどそれは、いつも女を抱く時のような肉欲ではなくて、もっと何か、本能的な陶酔だった。口づければ口づけるほどに、マルコの内側が、徐々に満たされていく。重ねた唇のところから、舌先のなぞる感触から、乱暴に髪を掴んだ指の先から、何かが脳内に流れ込む。それは、意味のある言葉ではなくて、感情でも、イメージですらなくて、ずっと漠然とした、靄のような霞のような何かだ。それでいて、夢の中のマルコには、これが、自分がずっと欲していたものなのだと、解る。ああ、確かに、蛭魔妖一は、マルコの求めるものを持っていた。満たされる――満ちてゆく。
「だ……から、言った、ろ――糞睫毛……ッ」
満足げに笑ってみせる蛭魔は、けれど、先ほどよりもなお声に力が無く、マルコの首に回された手はもはや辛うじて引っかかっているだけと言っていい。
ああ。
待って。
待って。
夢の中のマルコは、どうにかして、今にも切れてしまいそうな命の緒を繋ぎとめようとする。

あんただったのに。
俺がずっと欲しかったのは、探していたのは、あんただったのに。
待って。
折角、俺はあんたを手に入れたのに、手の届かないところに行かないで。

どうしていいのか解らなくて、でも、どうにかして護りたくて、怪我人の身体を、強くかき抱いた。肌を合わせたら。マルコのこの体温を、この精気を、この、脈打つ感情のすべてを、注ぎ込んだら。死神の手から、この男を奪い返すことが出来るだろうか。
「蛭魔――」
祈るように、呼ぶ。
そのあいだにも、瞬きの間隔がだんだんと短くなり、閉じている時間の方が長くなってくる。言葉は殆ど音を形成せず、微かに動く唇の間から、切れ切れの吐息が漏れるばかりだ。
ああ。
待って。
待って。
行かないで――

がくん、と、
堕ちる衝撃で、目が覚めた。

なにしろ夢の中でも同じ部屋にいたものだから、
ベッドの端に腰掛けて舟を漕いでいたのだと、
これが現実で、さっきまでのが夢なのだと、
正常な認識をするまでに、しばし時間がかかった。

それにしても、と、マルコは思わず自分の唇に触れて苦笑する。
妙に生々しい夢だった。まだ、触れた感触や、昂った感情の手触りが残っている。
よもや正夢ではないだろうが、なんとなく不吉な気もして蛭魔の方を見遣れば、怪我人は眠りに落ちる前と変わらず、熱のありそうな顔をしてほんの少しだけ荒い呼吸音をさせて寝ている。まあ、すぐに死にそうには見えない。けれども、目を閉じているその顔がなんとなく夢と重なって、マルコは、頬の辺りがむずむずとするのをどうにも堪えられなかった。夢の中では、性欲は一切感じていないような気がしたが、こうして思い返してみると、あの重ねた唇にも、あの強く抱いた腕にも、紛うかたなき情欲が宿っていたようでもあった。あのとき、マルコは、夢の中で、たしかに、蛭魔を抱きたいと思っていた。

無論、夢などというのはただの夢なので、きっと、もう一度寝れば忘れてしまうような性質のものだ。
けれども、今、もし、
自分が、立ち上がって、蛭魔の枕元に歩み寄ったら、
先ほどと同じようにして、彼の頬に触れたら、

先ほどと同じように、無感動でいられる自信が、マルコにはない。

だから。
立ち上がる足をそちらには向けずに、反対方向に向けて、冷蔵庫を開けてコーラを取り出した。歯で開栓して一気に呷ると、冷えた炭酸はマルコのもやもやとして熱を持った感情をも冷やす。
単に、疲れているのだ。
肉体が疲労すれば、おかしな妄念も湧く。
訳のわからない性欲も。
そのせいで、あんな夢を見たのだ。

怪我人は何も知らぬ気に眠っている。
早く早く、目覚めてくれ、とマルコはコーラを嚥下しながら念を送る。
要は、この男がさっさと起きて、マルコに情報さえくれれば、すべて終わるのだ。
とはいえ、そうなればマルコの方が今度は対価を支払わなくてはならぬ訳だが。

その時に、自分は、
どんな気持ちで蛭魔と相対するのだろう。

夢を見る前よりも、一層それが解らなくなって、

そして、夢を見る前には想像もつかなかったというのに、
今は、想像してみようとすることが、既に、少し怖かった。
もしも。
万に一つも、自分の中に、それを望む気持ちが、あったなら――

怪我人は、まだ、
眠っている。

 

 

■あとがき

まさかの逆カプすみません…!!!!!!!!!(滝汗)

いや…マルヒルデー(通称エイプリルフール)に
なんかやろうと思って書き始めたんですけど、
書き上がらずに… 結局四日遅れのアップとなってしまいました…(汗)

どうも、うちのヒルマルのヒル魔さんは
当たり前にしてると受けてくれそうにないので、
死にそうだったらアリかなあと思ったら
何故かこのシリーズにねじ込みたくなり、
こんなことになりました…

いや、もう本当ごめんなさい…

しかし、こういうの書いてるとほんっと楽しくて、
私って本当に「具合悪いネタ」「死にそうネタ」好きなんだなあ、
としみじみ思います…

もうこんな酷い、
まさにヤマなしオチなしイミなしなおはなしを読んで頂いて、
本当にありがとうございました!!!!!!

masayon