●『砂の花びら(番外編)』by masayon(燭台切×大倶利伽羅)

※もし、『砂の花びら』が、刀剣男士によって撮影された映画だったら… という番外編if設定です。完全な蛇足なので、本編の世界観を壊したくない方はお読みにならない方が良いかもしれません… が、悲しいエンディングが辛かった方の救済になればさいわいです。シリーズを読まずに単独でお読みになると意味がわからないかもしれませんが、「光忠が王子様、伽羅ちゃんが男娼設定のみつくり異世界パロ」というところをおさえて頂ければおそらく大丈夫かなと思います。

 最後のカットがかかった瞬間、隣に立っていた光忠の身体がふらりと傾いで、
「……っ、おい」
 俺は慌てて奴の肩を掴んで抱き留めた。
「あは、ごめん。ちょっと気が抜けちゃった」
 ありがとう、と笑って体勢を立て直す光忠の顔には疲労の色が濃いが、それ以上にすがすがしい充実感に彩られている。これなら大丈夫そうだ、と判断して、かるく肩を叩いて腕を離したところで、わっ、と周囲から歓声が上がった。
「燭台切さん、大倶利伽羅さん、オールアップおめでとう!」
「お疲れさん。いい演技モン見せてもらったぜ」
 自分の顔がなかば隠れてしまうほどの大きな花束を、それぞれ光忠と俺に差し出してくれているのは薬研と乱で、俺たちはそれを受け取ると、目線だけでひそやかに笑みを交わした。
 俺と光忠のはじめての主演映画『砂の花びら』のすべての撮影が、終了したのだ。

 俺にとっては、主演どころかそもそも映画に出演すること自体が初めての経験だったから、半年ほどの撮影期間が一般的に長いものだったのかそうでなかったのかは知らない。だが、通常通りの出陣や内番をこなしながらの合間を縫っての撮影は決して楽なものではなかったし、半年前の時点では初対面だった隣の燭台切光忠との信頼関係を築くには十分な長さでもあった。やっと終わったんだな、という解放感と、終わってしまったのか、というほんのわずかな寂寥感。もう、この光忠とは会うこともないかもしれない。そう思うと、微かに胸が痛んだ。

 事の起こりは、一年ほど前にさかのぼる。
「大倶利伽羅さん、ワタクシ、映画が撮りたいです」
 と、審神者が言った。
「そうか」
 と俺は答えた。
 なんでも、俺の本丸の審神者は、学生時代に映画同好会とやらに所属して、自主映画なるものを制作していたのだそうだ。「『みつくり』の映画を撮りたい」と鼻息も荒く語る審神者が、まさか俺を主演に抜擢しようなどとは、その時点では知る由もなかった――

 それから、審神者が学生時代の伝手とやらを使って集めた他本丸の審神者の手を借りたり、うちの本丸の連中ににわか芝居や裏方作業の手ほどきをしてもらったり、オーディションとやらで演者の男士を募ったりして、気づけばすっかりとお膳立てが整っており、俺は、他本丸から来た光忠と、初対面の挨拶を交わしていたというわけだ。

 銀幕本丸や歌劇本丸など、政府の広報筋の本丸には、芝居や歌舞音曲を得意とする俺というのも存在はしているらしいが、あれは大倶利伽羅としては例外中の例外であって、俺は芝居などは出来ない。だから、芝居の筋に合わせて、光忠も別本丸から初対面の光忠が選ばれた。光忠の方は芝居が達者で、映画出演が初めてとは思えないほどに堂に入った立ち居振る舞いをしていたが、俺はと言えば台本を覚えるので精いっぱいといった有様だった。それでも、光忠はいつも俺の稽古に納得行くまで付き合ってくれたし、だからこそ俺も最後までやり遂げることができたのだ。

「伽羅ちゃん――大倶利伽羅」
 ぐいと横から腕を引かれて、気づけば俺は、光忠の胸に花束ごと抱きこまれていた。
「君が、僕の大倶利伽羅を演じてくれて、本当に良かった。君とじゃなければ、この芝居は作れなかった」
 花を潰さないよう、俺はそっと花束を持っている腕を逃がして、そのままおずおずと光忠の背に回した。柄ではないのは百も承知だが、クランクアップの興奮で大騒ぎの周囲は、きっと俺のこんなささやかな感情表現には気づかないだろう。気づかないで欲しい。
 抱きしめた身体は、最初の頃よりもひとまわり近く薄くなっている。撮影は、ほとんど台本の順番に行われたのだが、後半では光忠はかなり体を絞っていた。刀剣男士の場合は、体を絞ると言っても、人間のように食事などで調整するわけではなく、己の身の内に貯める神気を減らす、というやり方になる。そんなことをすれば、疲労が溜まりやすくなるし、その分怪我もしやすくなるという危険な方法だ。俺たちは、銀幕本丸などのように、芝居が主な業務というわけではない。毎日の出陣や演練、内番をこなしながら合間に撮影をしているのだから、こんな審神者の道楽の芝居のことで出陣に影響を与えては本末転倒だと、俺も周囲も止めたが、光忠は笑って「そんなことするわけないだろう」と聞かなかった。実際、毎回戦で誉を取ることで、疲労を回避していたのだと言う。それを聞いた時、なんという刀だろう、と俺は震えた。

「……俺も、あんたが相手役で、良かった」
 気づかれないように、ほんのわずかずつ、俺の神気を光忠に注いでやった。まるで、芝居の中の大倶利伽羅のようだな、と少し笑う。

 俺は。
 俺は、芝居などできない。
 俺に出来ることは、ただ、台本を覚えて、その通りに喋って動く、それだけだ。俺自身の感じていない感情などを乗せるような器用な真似は出来ないし、かと言って理屈やテクニックだけでそれらしく見せられるような技量があるわけでもない。

 つまり、俺がもし、光忠の相手役としてそれらしい芝居が出来ていたのだとすれば、
 それは、俺が――役としての『大倶利伽羅』ではなく、俺自身が、実際に、光忠に恋慕の情を抱いてしまっているからだ。
 もう、この撮影が終われば、会うこともないであろう相手で、しかも、向こうはあくまで芝居をしていただけだというのに、そんなことは理屈ではわかっているのに、芝居などはやったことのない俺は、光忠の台詞に、その眼差しや、触れるてのひらに、すっかりと絆されてしまった。愚かだと、自分でも思う。
 とはいえ、こうして毎日のように顔を合わせていた状態が特殊なのであって、会わなくなれば、きっとこの感情も自然に薄れていくだろう。
 俺は、ゆっくりと体を離すと、光忠の腕を叩いて、
「あんたの芝居、本当に良かった。スクリーンで見るのを楽しみにしている」
 と言った。光忠は、なぜか、みるみる表情をこわばらせて、
「そんな、もう会わないみたいじゃないか」
 と、彼にしては珍しく、拗ねるような、だだをこねるような声を出す。
「それはそうだろう。もう、撮影は終わったんだからな」
 もちろん、これからも編集作業だのなんだの『映画作り』としてやるべきことはあるのだろうが、俺たち役者としての仕事はここで終わりだ。そのはずだ。だが、光忠は眉を下げて俺を見ると、
「そんなこと言わないでくれ」
 と、さっきよりも強引に俺を引き寄せて、俺の首元へ顔をうずめた。
 もう、そんな芝居をする必要ばないはずだ。俺たちは、ただの、『他所の本丸の燭台切光忠と大倶利伽羅』に戻ったんだから。それなのに、俺の心臓は勝手に走り始める。もう、やめてくれ。俺はもうあんたの『大倶利伽羅』じゃないし、あんたは俺の『光忠』じゃないのに。
 けれど。
「僕、本当は、芝居なんてわからないんだ。もし、僕がいい芝居をしていたように見えたなら、それは、僕が――君を、好きになってしまったからだ」

 呼吸が止まる。
 目の前に、ふわりと桜が躍る。
 今、俺は、何を聞いた……?
 あんたは、何を言った……?

「台本に引きずられたんだろう」
「気が昂っているだけだ」
「吊り橋効果というやつじゃないのか」
 刹那、そんな言葉たちが脳裏をよぎったが、それらは俺の口から出ることはなかった。なぜなら、既に、そこは光忠の唇で塞がれていたから。
 芝居では、深い口吸いも、それ以上のことも何度もしたというのに、そのくちづけはほとんど臆病なまでにやさしくて、ついばむように触れる光忠の唇は、ひどく熱いのに震えていた。

 ああ。
 光忠。
 俺は、それへ返答を返すように、光忠の頭の後ろへ手を回して、口づけを深くする。強引に歯列を割って舌を絡めて。俺の熱も、あんたに伝わるように。

 台本にひきずられたのでも、
 昂りによる気の迷いでも、
 吊り橋効果でも、
 なんでも構わない。
 あんたが、俺を欲しいと言ってくれるなら。

「――……伽羅、ちゃん……?」
 呼吸が上がるほどに散々に互いの口腔内を蹂躙し合ってから、唇を離すと、光忠がほんの至近距離で、俺を見ている。金色の眸に宿るのは、芝居の中で何度も見た、情欲。そして、期待と、わずかな不安。俺は、それへしっかりとうなずいてやる。
「俺も……あんたと、同じ気持ちだ」
「ほんとうに……?」
 ぎゅっ、と三度思い切り抱き着かれて、俺は今度こそ遠慮なくその体を抱き返した。

 わあっ、と周りから歓声が上がって、そういえば撮影現場だったな、と思い出して慌てて離れるか、後の祭りだ。
「いやあ、こいつはめでたい驚きだ!」
 と、鶴丸国永が俺と光忠にまとめて抱き着いてくる。極練度75の膂力で本気で力を入れられては、冗談ではなく苦しくて、じたばたしたら肘がきれいにみぞおちに入ってしまったらしく、うっと呻いてうずくまっていたが、自業自得だ。
 この企画を立ち上げた張本人であるところの、俺の本丸の審神者などは、そもそもが『みつくり』愛好家であるものだから、
「み、みつくりが爆誕した……尊い……!!!」
 などと悲鳴を上げて卒倒している。俺は、光忠と視線を合わせて、そっと笑みを交わした。

 おそらく、俺も光忠も、この先、映画に出演することはないだろう。
 なぜなら、俺も、光忠も、芝居などはできないからだ。
 俺と光忠は、ただ、恋に落ちた。
 そのきっかけが、たまたま、台本の中の世界で、
 それが、フィルムに残っている、ただそれだけの話だ。
 だから、二度目はもう、ない。
 ここからの俺たちの物語は、フィルムの中でも台本の上でもなくて、現実という舞台で紡がれるのだ。

 俺のものとも、光忠のものともつかない誉桜が舞い散るなか、役者やスタッフ達に祝われながら、俺たちはしっかりと手を握り合っていた。

 物語の中の、光忠と大倶利伽羅のように、
 俺たちも、互いの終わりまで、
 この手を離さずに、歩んでゆく。

 了